「翻訳は実力がすべて」なのか?

雑記

「翻訳は実力がすべて」のような言葉を見かけることがある。

このような言葉にはいつも違和感を感じてきた。

ただし、「運も実力のうち」という前提があれば、全く違和感はない。

なんなら構成要素としては運の方が大きいとさえ思っている。

翻訳業界で仕事をしている人の中にはいろんな人がいると思うし、いろんなタイミングがある。

うまい訳ができる人もいれば、そうでない人もいる。

うまい訳ができる時もあれば、そうでない時もある。

得意な分野もあれば、常に不安を抱えながら挑戦している新規参入の分野もある。

翻訳会社や顧客が、興味が湧いたから頼んでみようと思ってくれる場合もあれば、そんな冒険などしない場合もある。

急に大規模案件が発生し、そのプロジェクトに潜り込めるタイミングもあれば、定常的な案件しかない時期もある。

翻訳会社や顧客にぴったりハマって仕事ができる時もあれば、違和感しかない時もある。

そのぴったりハマった案件が長く続くこともあれば、驚くほど短期間で終わってしまうこともある。

翻訳業界全体が上向きの時代もあれば、下っていく時代もある。

翻訳者として仕事ができる環境に恵まれた人もいれば、何らかの事情で別の道を進まねばならない人もいる。

いろんな分岐点がある。

私が思うに、「翻訳者の実力」というのは、

右も左も分からない翻訳の初心者から始めて、

運よく最初の翻訳の仕事を得ることができ、

そして一番大事なことだが、運よく何とか仕事を長く続けることができ、

その中で能動的または受動的に、純粋な翻訳能力や専門分野の知識を身に着けていくとともに、営業力を磨き、

何とか頑張っているうちに仕事が安定し、「翻訳は実力がすべて」という結果にたどり着くような気がしてならない。

よくテレビでやっている「消えた天才たち」と同様、能力以外の分岐点はその後を大きく左右すると思う。

結局は、運に救われながらコツコツ長く続けるのだな。

さあ、今日も感謝して翻訳するか。

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